近年ホテル業界は、旺盛なインバウンド需要を背景にした高い稼働率と宿泊単価に支えられ、活況を呈してきました。一部のエリアでは供給過剰感から調整局面を迎えつつありましたが、ホテルは2019年も引き続き不動産投資市場において主要な投資対象と見られていました。
しかしながら2020年に入り、新型コロナウィルス感染症拡大懸念に伴う海外渡航者の制限により、インバウンド需要が激減したことに加えて、出張や旅行の自粛による国内宿泊需要の急速な減少もあり、国内ホテルのパフォーマンスは前例がないほどに落ち込んでいます。
JREITの開示資料によれば、各法人が保有するホテルの宿泊部門の実績は、4月には客室稼働率で対前年比約75%の減少、ADRで同約40%の減少、RevPARでは同約85%の減少となりました。政府による緊急事態宣言が全都道府県に拡大された4月16日の前後から、多くのホテルでは臨時休業を実施しており、5月の数字は更に悪化することが予測されます。
JREIT保有ホテル宿泊部門実績

緊急事態宣言の全面解除や、「GoToトラベル」キャンペーンによる夏場の国内旅行需要喚起等によって、まずは国内宿泊客の需要回復が期待されるものの、ホテル市況の回復時期については未だ不透明な状況が続きます。
本稿では、新型コロナウィルス感染症拡大がホテルの価格に与える影響について考えてみたいと思います。
1. 利回りの変化
不動産鑑定評価基準では不動産の割引率を求める方法として以下の3つが例示されています。
- 類似の不動産の取引事例との比較から求める方法
取引事例をもとに利回りを求めるため説得力が高い方法ですが、新型コロナウィルス感染症拡大後の取引が事例として出てくるにはまだ時間がかかると考えられます。
- 借入金と自己資金に係る割引率から求める方法
不動産取得の際の資金調達上の構成要素に着目した方法であり下記の式を用います。
【借入金利×借入金割合+自己資金利回り×自己資金割合】
この考え方では、借入金利やエクイティ要求利回り自体に変化がない場合でも、借入金割合が変動すれば不動産の利回りは変化します。現時点で、市場はレンダーの融資姿勢に大きな変化はないと捉えていると考えられますが、仮に今後、新型コロナウィルス感染症拡大以前と比較して、レンダーによるホテル評価額が下落した場合には、借入金の総額が減少し、レバレッジが低下することで、割引率が上昇する可能性があるものと考えられます。
- 金融資産の利回りに不動産の個別性を加味して求める方法
10年国債等の金融資産の利回りに不動産のリスクを加味する方法です。今回の件で、例えば投資家がホテルオペレーションの難しさを再認識し、利回りにリスクプレミアムを加算した場合には、割引率が上昇することになります。
新型コロナウィルス感染症の拡大に伴う市況の悪化がホテルの利回りに影響を与えるか否かについては、流動性の低下を背景に利回りが上昇するという意見もあれば、中長期的な利回りの目線は現状では変化はないとの意見もありますが、いずれにしても近年下落基調にあったホテルの利回りは調整局面に入り、横ばいまたは上昇に転じることが予測されます。
2. ホテルキャッシュフローの下落
下記の宿泊特化型ホテルを想定します。なお、ここでは、足元のキャッシュフローの下落が価格に与えるインパクトをみるために、契約形態は運営委託とし、ホテル運営に係る安定年度収支の想定は、新型コロナウィルス感染症拡大の前後で変化はないことを前提とします。
- 客室数:80室
- 安定年度客室稼働率:88%
- 安定年度客室単価(ADR):10,000円
【ベースケース】 新型コロナウィルス感染症拡大以前の想定キャッシュフロー
2020年はオリンピック開催により稼働率及びADRが上昇し、その後は中長期安定的水準で推移する事を想定しています。

【ケース1】 ホテル市況回復時期2021年6月
2020年5月25日の緊急事態宣言全面解除を受けて、2020年6月以降ホテル収益が徐々に良化し、東京オリンピックの開催によるインバウンド需要の回復も織り込んで2021年6月に中長期安定的水準に戻るケースを想定しています。2021年のNOIは安定水準の77%程度まで回復します。
キャッシュフローの減少による価格への影響は、利回り水準によって異なりますが、NOIベースの割引率を4.3%と想定した場合、ベースケースと比較して7.9%程度の価格下落となります。ここから利回りが10bps上昇した場合には、9.5%程度の価格下落となります。

【ケース2】 ホテル市況回復時期2022年6月
2020年6月以降ホテル収益が徐々に良化し、二年後の2022年6月に中長期安定的水準に戻るケースを想定しています。NOIは2021年にプラスに転じ、2022年は安定水準の88%程度まで回復します。
ケース1と同様に想定割引率を4.3%とすると、このケースでは11.9%程度の価格下落となります。ここから利回りが10bps上昇した場合には13.6%程度の価格下落となります。
3. ホテルオペレーターの賃料負担水準の変化
前項では運営委託を想定し、足元のホテル収支の変動が価格に与える影響について確認しましたが、オーナーが安定的な収入を得られる固定賃料契約の場合は価格にどのような影響が出ると考えられるでしょうか。堅調な稼働率と宿泊単価の上昇に支えられ、ホテルオペレーターの支払可能賃料は上昇傾向にありました。また、競合の激化を背景に、近年はホテルGOPに対する固定賃料の負担割合が80%を超えるケースも多くみられました。しかし今回、ホテル収支の急激な悪化により、多くのオペレーターが不動産オーナーに対して約定賃料を支払う事が出来ない状況に陥りました。これを受けて、今後ホテルGOPに対する賃料負担割合を見直す動きが出てくるかもしれません。下表は、前述の宿泊特化型ホテルについて、契約形態を固定賃料と想定した場合に、賃料負担割合と利回りが変化することによって価格にどの程度の影響が出るかを示しています。想定割引率を4.3%とすると、ホテルオペレーターの負担可能な固定賃料が安定年度GOPに対して85%から75%に低下した場合には、価格は11.7%程度下落します。ここから仮に利回りが10bps上昇すると13.2%の価格下落となります。
固定賃料型のホテルについては、現時点では一時的な賃料免除・減額・繰延等により対応しているケースが認められますが、従前の契約が存在するため、直ちに契約賃料が下落するケースはそれほど多くはないかもしれません。しかしながら、上記のように賃料のGOPに占める割合の見方に変化が現れれば、将来の賃料減額のリスクやホテルオペレーターの信用リスク等が今まで以上に重要視され、これらのリスクを利回りに織り込むという形で、価格に影響が出てくる可能性があるのではないかと考えられます。
良好なファイナンス環境と投資適格案件の希少性の高まり等により、不動産の価格は近年右肩上がりの傾向にありました。しかしながら、新型コロナウィルス感染症の拡大により、先行きが急激に不透明になり、不動産価格に対する客観的な意見へのニーズが高まっていると感じています。感染症の拡大が、国内不動産に与える影響の度合いは、アセットタイプによって異なることが浮き彫りになっており、なかでもホテルは価格動向が注目されるアセットの一つと言えるでしょう。収益性の急激な悪化により、短期的には厳しい状況にあるものの、観光、ビジネスともにホテルのニーズがなくなることはなく、ホテルが魅力的な投資対象であることに変わりはないと考えられます。今後も、市況回復に伴うキャッシュフローの改善時期と、中長期的な賃料や利回りへの影響の両面から、ホテルのバリュエーションについて注意深く見ていく必要があると考えています。
※ ADR (Average Daily Rate): 平均客室単価
RevPAR (Revenue Per Available Room): 販売可能客室単価
GOP (Gross Operating Profit): 営業総利益
NOI (Net Operating Income): 賃貸純利益